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やりたいことを突き詰める。2年間のモラトリアムを経てたどり着いた「誰もが輝ける社会」への道【20代ソーシャルキャリアインタビュー】 

「誰もが自分らしく輝ける社会をつくりたい。それを、人との深い関わりを通して実現できる仕事をしようと思ったんです」

2025年11月、NPO法人ソーシャルデザインワークスに就職した崎山奈央(さきやま なお)さん(25歳)は、現在、スクエアクルー(支援員)として障害のある方、生きづらさを抱える方の自立訓練(生活訓練)や就労移行支援の最前線で活躍しています。

大学卒業後、周囲の就職ムードに流されることなく、本当にやりたいことを見極める時間として、あえて2年間の「モラトリアム期間」を自ら設けた崎山さん。舞台制作やスターバックスでのアルバイト、そして日本全国を巡る一人旅など、多様な経験を通して自分自身と深く向き合いました。その濃密な時間の中で見つけたのは、「人の成長や笑顔を直接支えたい」という純粋で力強い思いでした。

学校の枠に違和感のあった学生時代、オーケストラで見つけた居場所

東京で生まれ育った崎山さん。幼い頃からご自身の「やりたいこと」を応援してくれる家庭のもとに育ちました。学校が終われば毎日のように違う習い事に通う日々。水泳、ピアノ、剣道、ボーイスカウトなど、好奇心の赴くままに多彩な経験を重ねる、明るくパワフルな子ども時代でした。

しかし、その一方で学校や同世代との距離感に悩む時期もありました。

「学校という決まった枠の中で過ごすことに違和感があり、自分が自分らしくいられない感覚から、窮屈に感じていたんです」

そんな崎山さんですが、外の世界には常に強い関心を向けていました。そして、彼女にとっての最大の居場所となったのが、「音楽」です。小学生のときにクラリネットを始め、区が運営するジュニアオーケストラに入団。さまざまな学校から楽器を楽しむ子どもたちが集まる環境で、音楽にのめり込んでいきます。

「一人で楽器を吹くよりも、オーケストラの中でみんなと一緒に一つの音楽を創り上げるのが大好きでした。オーケストラでの集団は心地よかったんですよね」

中学生から高校生にかけては、本気でプロのクラリネット奏者を目指していました。初めてソロパートを任された際、指導してくれていた先生から「プロを目指してもいいんじゃない?」と言ってもらえたことが大きな自信につながります。「自分にもできるのかもしれない」と背中を押され、音楽の専門知識を学び、ピアノの猛特訓にも励むなど、まさに青春のど真ん中に音楽がありました。

固定観念を壊してくれた、高校1年生での被災地ボランティア

プロの音楽家を夢見る一方で、崎山さんは大きな葛藤を抱えていました。

「高校には入学したものの、学校にはあまり行けていませんでした。親や周囲の大人たちは、私に『大学へ行って、普通に就職して、いわゆる普通の人生を歩んでほしい』と期待してくれていたんです。なので、私が音大に進学したいと思っていることを、周囲はあまり良く思っていませんでした」

やりたいことと、周囲からの期待。そのギャップから生まれるもどかしさに悩んでいた高校1年生のとき、崎山さんは一つの行動を起こします。それが、被災地でのボランティア・視察ツアーへの参加でした。

「外の世界への興味は尽きなくて。思い切って遠くへ行き、今まで関わったことのない大人たちと出会ってみたいと思いました」

この決断が、崎山さんの人生を大きく動かします。被災地では、現地で活動する同世代の高校生たちと出会いました。被災地の風景を撮り続け、写真展を開いている高校生と共に活動するなかで、「写真展を、東京でも開催できるように手伝いたい」という思いが芽生えます。さらに現地では、社会課題に向き合う多様な大人たちとも言葉を交わしました。

「大学に行って就職するという道を歩んでいる人は案外少なくて、でもみんな本当に楽しそうに生きていたんです。『世の中にはこんなにいろんな生き方があるんだ』と、目の前がぱっと開けたような感覚でした」

高校2年生のときには、被災地支援団体と連携して、東京で「写真で伝える被災地」という展示とトークショーを見事に実現させます。その後もチャリティーコンサートなどの舞台制作を手伝うようになり、社会とつながる活動にのめり込んでいきました。

「誰かを支えたい」という思いから音大へ。そして訪れたコロナ禍

被災地支援やイベント運営を通して、崎山さんの中にある思いが芽生えます。

「活動を手伝ったり、裏方の役割を担ったりするなかで、私は表舞台に立つよりも『誰かを支える仕事』のほうが合っているのではないかと気づいたんです。そう考えると、私は演奏家には向いていないのかもしれないと思うようになりました」

この気づきをきっかけに、演奏学科ではなく、音楽家や舞台を裏から支えるプロフェッショナルを育成するアートマネジメントコースへの進学を決意します。

しかし、無事に音大に入学し、アートマネジメントの勉強に取り組み始めた矢先、大学2年生に進級するタイミングで新型コロナウイルスの世界的なパンデミックが起こりました。学校にも行けず、舞台の勉強をしたいのに全国の劇場が閉まってしまい、もどかしい日々を過ごします。

大学4年生になり、ようやく劇場が少しずつ開き始め、インターンシップで実際の劇場に行き、現場の空気に触れる機会も得られましたが、崎山さんの心にはモヤモヤが残っていました。

「就職先を決めるための判断材料が少なすぎる。このまま流されるように就職していいのだろうか」

あえて就職しない。2年間の「モラトリアム」で自分と向き合う

そこで崎山さんが下した決断は、「就職せず、卒業後2年間をモラトリアム期間として延長する」という選択です。

「『25歳までに実家を出て就職する』という期限と約束を自分自身に課しました。この2年間は、がっつり自分と向き合い、やりたいことを見極めるための時間にしようと決めたんです」

まずは、大学時代から続けていたスターバックスでのアルバイトや、舞台の制作・運営に関わる仕事を続けました。そして、新しいチャレンジとして「人を撮る勉強がしたい」と、写真の専門学校にも通い始めます。また、この期間に積極的に行っていたのが「一人旅」でした。

「ほぼ日本全国を回りました。友人と行くこともありましたが、ほぼ一人旅です。お酒とご飯が大好きなので、酒蔵を巡ったり、ニッチな地元の料理屋さんを開拓したりするのが楽しみでした。その中でサウナの魅力にもハマってしまって、サウナ目当てで旅の目的地を決めることもありました」

高校生のときに被災地へ飛び込んだ経験が、このフットワークの軽さの原点にあります。

「被災地に行ったことが、私の人生のターニングポイント。そこでいろんな人に出会い、多様な価値観を吸収できたことが本当に大きかった。だからこそ、人との出会いを求めて旅をすることは自分の人生にとって必要な時間でした」

舞台や接客業の経験から見えた、仕事選びの大切な軸

この2年間は、仕事における「自分自身の喜びの源泉」を見つめ直す貴重な時間となりました。舞台制作とスターバックスという異なる2つの経験を通して、崎山さんはある共通点に気づきます。

「舞台の仕事をしていて、公演が成功したときはもちろんうれしいです。でも、自分がいい仕事をしたからうれしいというより、観客のお客さんが喜んでくれている姿を見たり、演者さんが『今日は楽しかった!』『やりきった!』と言ってくれたりする瞬間の方が、何倍もうれしかったんです」

スターバックスでの仕事も同様でした。時間帯責任者を任され、後輩の育成などにも携わるなかで、売り上げを伸ばすことや完璧なドリンクを作ること以上に、心が動く瞬間がありました。

「私のちょっとした声かけや関わりで、お客さんが笑顔になってくれたとき。そして、後輩スタッフが成長していく姿を見たとき。誰かが喜ぶ顔を見ること、誰かの成長を感じることが、私にとって一番の喜びなんだと確信しました」

舞台をより良くするために裏方として奔走することも、店舗の営業成績を上げるために工夫することも、決して嫌いではありませんでした。しかし、「本当にやりたいことはそこじゃない」という明確な気づきがありました。

「どんな仕事をしているときでも、私の目は常に『人』に向いていたんです。一瞬の関わりで終わるのではなく、その人の人生や生活にもっと深く向き合い、その人の人生を良い方向へ変えるような関わりができる仕事がしたい。そう強く思うようになりました」

そこから導き出された就職活動の軸は、非常にシンプルで力強いものでした。

「誰もが自分らしく輝ける社会をつくりたい。それを、人との深い関わりを通して実現できる仕事をしよう」

「ドンピシャに刺さった」ソーシャルデザインワークスとの出合い

いざ就職活動を始めるにあたり、崎山さんは特定の業界やセクターに絞ることはしませんでした。スターバックスの正社員なども選択肢に入れつつ、求人サイトを活用し、関東圏だけでなく日本全国の求人に目を通します。

「引っ越しも視野に入れて、全国の求人をくまなく見ました。一番重視していたのは、業務内容や働く場所ではなく、『その法人の理念や方針に、自分が心から納得し、共感できるかどうか』です」

少しでも気になった企業があれば、片っ端からホームページに飛び、具体的な事業内容や働いている人の顔を確認する日々。そんななかで、運命的な出合いを果たします。それが、福島県に本部を置き、関東圏でも事業を展開するNPO法人ソーシャルデザインワークスでした。

「最初はソーシャルセクターで働こうと決めていたわけではありませんでした。自立訓練や就労移行支援といった福祉の仕組みも、実は入社してから本格的に勉強したくらいです。でも、ソーシャルデザインワークスのホームページに掲げられていた理念を見た瞬間、ビビッときて」

そこには、崎山さんが心に抱いていた「誰もが自分らしく輝ける社会をつくりたい」という思いと、同じ方向を向いたビジョンが言語化されていました。

「私がやりたいことをドンピシャで実現できるのはここだ、と感じました。途中からは『絶対にここで働くぞ』という強い気持ちに変わっていました」

メンバーの成長に伴走し、地域社会を巻き込む次なる挑戦へ

こうして2025年11月、崎山さんはNPO法人ソーシャルデザインワークスに入社しました。現在は埼玉県の事業所で、スクエアクルー(支援員)として働いています。同事業所は「自立訓練(生活訓練)」と「就労移行支援」の障害福祉サービスを提供しており、崎山さんは主に自立訓練の担当として、利用者である「メンバー」さんの日々の支援に奔走しています。

業務は多岐にわたり、事業所内で提供されるプログラムの講師や、セレクトワークなどを通してメンバーさんの様子を観察し、個々人への適切な面談や支援に活かしています。崎山さんは「入社前後のギャップはなく、毎日が本当に楽しいです」と笑顔で語ります。

「一番のやりがいは、やはりメンバーさんの変化を間近で見られることです。入所した当初と比べて表情がガラッと明るく変わった方や、新しい目標を見つけて努力されている姿を見たとき。そして何より、ご本人の口から『成長できました』と言ってもらえたときは、本当にうれしいですね。やりたいと思って入った仕事で、伴走できている実感があります」

入社から半年が経とうとする今、崎山さんの視線はさらに広い社会へと向けられています。 

「私たちの法人は、地域社会と混ざり合う『ごちゃまぜ』のまちづくりの取り組みにも力を入れています。私自身もそこに深くコミットしていきたいと考えています」

その背景には、入職後に視察に訪れた、引きこもりの当事者が集う地域のカフェでの経験がありました。社会福祉協議会の方からの話を聞き、地域の中に「安心できる居場所」があることの重要性を痛感したと言います。

「事業所の中で、目の前の方と向き合っているだけでは、『誰もが自分らしく輝ける社会』の実現は難しい。地域を巻き込んだ場作りや仕組み作りを通して、地域で困りごとを抱えている方が、少しでも私たちの支援や居場所につながれるような施策を展開していきたいです」

「私一人が思ったところで、すぐに社会が変わるわけではないかもしれません。でも、徐々に周りを巻き込んでいけば、考え方が変わってくれる人が一人、また一人と増えていくはず」

そう語る崎山さんの瞳には、確かな未来のビジョンが宿っていました。

20代へのメッセージ「周りを気にせず、やりたいことを突き詰める」

インタビューの最後に、ご自身と同じようにキャリアや人生に悩む20代の方へ向けたメッセージをお願いすると、崎山さんらしい、真っ直ぐな言葉が返ってきました。

「周りの目や世間の常識を気にせず、自分のやりたいことをとことん突き詰めていけば、必ず道は開けます。そして、それを信じて行動し続けていれば、きっと誰かが応援してくれるようになります」

「周りを気にせず、やりたいことを突き詰める」。それを実行するには計り知れない勇気と覚悟が必要です。しかし、その覚悟を持って行動し続けた結果、崎山さんは「誰もが輝ける社会をつくる」という心から共感できる居場所へとたどり着けたのだと感じました。

崎山さんが悩みながらも突き詰めた先の現在の挑戦を、私も心から応援したくなりました。


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この記事を書いた人
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高知県出身。大学時代にETIC.と高知大学で企画したインターンシッププログラムを通してコンサルティング会社でのインターンを経験。その後、民間企業に就職し、マーケティング・コンサルティング商品の企画提案業務、新卒採用・新入社員研修業務などに従事。2024年5月よりETIC.に参画。DRIVEキャリアにて、キャリアコーディネート業務を担当。

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