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大手営業職からNPOへ転職した29歳が、決断するまでにやった2つのこと【20代ソーシャルキャリアインタビュー】

まっすぐで、快活。「お声がけいただきありがとうございます」と話す声は爽やかで、前職は酒類メーカーの営業職というのも納得です。

上野真栄(うえの まなえ)さん(29)は、2025年に大手の酒類メーカーから、社会的養護施設で働く職員を支援するNPO法人チャイボラに転職しました。

自身が社会的養護施設の出身というわけではありません。「なぜ、この問題に取り組む覚悟ができたのでしょうか。上野さんが大手企業の安定を手放して、NPOへ転職を決断するまでの、約1年半のプロセスを伺いました。

109年の歴史で初めて、体育会寮に入った女子マネージャー

転職活動の前に、学生時代の話を。上野さんを語る上で、「野球部のマネージャー」のエピソードは欠かせません。上野さんは、高校から大学まで計7年間、野球部のマネージャーを務めました。出身は立教大学。大学を選んだ理由も日本一を目指せる強い野球部のマネージャーがやりたかったから。

大学4年生の時は寮に入り、ほぼ1日部活に費やしました。ちなみに、女子マネージャーが体育会の寮に入ったのは109年の歴史で初めて。上野さん自ら監督に掛け合い、三食一緒に選手と食事をとるために寮入りを交渉したのです。

「選手から食事の評判が悪いこと、選手の体が細いことを課題に感じ、食事の改善に一番力を入れました」

その徹底ぶりは社会人顔負け。寮のご飯をおいしくするため、食品会社を複数候補に上げ、各社と面談。食事の提供会社を差し替えました。

ギリギリまで寝て朝ごはんを食べない選手には、「もう一回寝てもいいから朝ごはんを食べろ」と言い、朝食が始まる前から食堂に座って見張っていたそう。「『朝飯ババア』というあだ名がつきました」と、上野さんは笑います。

大学野球部の同期との集合写真(上野さん中央)

東京六大学野球リーグが終わるのは、大学4年生の10月。就職活動は、大学3年生の秋頃から始まります。野球を優先し、就活に割く時間を最小限にしようと、本当に行きたい会社だけ絞って受けていました。

「就活は最悪1年先延ばしにできても、野球は今しかできないと思って」(上野さん)

大学3年生だった2017年に、立教大学は18年ぶりに東京六大学野球春季リーグで優勝。上野さんが最高学年だった2018年は2位(春季リーグ)・5位(秋季リーグ)で終えました。青春の1ページ、というだけの話ではありません。このマネージャーで育まれた価値観が、後の上野さんの人生を大きく変えていくことになります。

大好きな会社なのに、仕事に燃えきれない

新卒で就職した酒類メーカーでは、「ファーストキャリアは営業がやりたい。シェアが厳しいところに行きたい」と、希望。競合他社のシェアが強い北海道に赴任しました。

時には店舗に足を運び、棚のディスプレイなどを提案し、陳列作業を行うことも。「大好きな得意先の売上アップのために、と思うと頑張れた」と、上野さん。若手のうちからチャレンジングな企業を任せてもらえ、とても充実していたと振り返ります。

酒類メーカー勤務時代(向かって右から2番目が上野さん)

転機が訪れたのは入社4年目。部署異動があり、夜の飲食店向けの営業に変わります。新しい仕事が嫌だったわけではありませんが、心の中でくすぶるものがありました。

「まだまだ前の部署で頑張りたかったことがたくさんあったし、やり切った上で次のステップに行きたい、と思ってました」

しかし、大企業では、自分の仕事は自分で決められません。どこで働くか、誰と働くか、何をするかは人事異動一つで変わります。

仕事は人生の長い時間をかけるものなのに、本当にこれでいいのかーー。 学生時代に没頭した野球のマネージャーのように、燃え切りたい。「これをやっている」と胸を張れる仕事を見つけたい。

大好きな会社なのに、どこか仕事に没頭できない。静かな葛藤が、上野さんの中で渦巻いていました。

実家への帰省が人生の転機に

あるとき、新しい部署での仕事がうまくいかず、営業目標が未達に終わります。入社して初めてのことです。自分は、会社に価値を出せていないんじゃないか。上野さんは落ち込みました。

力をくれたのは、実家の存在でした。特別なことはなく、リビングでだらだらと寝転がり、みんなと一緒にテレビを見ていたと言います。会社では、仕事で認められないと価値を出せないと考えていたけれど、家の中では存在そのものが受け入れられていました。

上野さんのこども時代(向かって右が上野さん)

「自分が社内で一番営業成績を上げていても、最下位だったとしても、家族は何も変わらない。仕事のことも聞かれない。もし、うまくいってないことを話しても『そうなの?大変じゃん』と返してくれるんだろうと思うんです」

(実家がなかったら、自分は今の自分だったのかな)

帰り道、上野さんの頭に、ふとした疑問が浮かびます。

(安心できる場所がないこどもたちは、どう過ごしているんだろう)

その場でスマートフォンで調べ、社会的養護の存在を知ります。自分に何かできることはないか。調べるうちに、NPO法人チャイボラのクラウドファンディングのページにたどりつきました。

人は、大切にされることで、初めて「自分は大切な存在なのだ」と思えるようになる。だから、一人ひとりのこどもに寄り添える、十分な職員数と職員の定着が不可欠。

ページに書かれた言葉が、自分の実家の経験と重なり、上野さんを貫きます。

「これだ!と思って、すぐに問い合わせページから、何かできることははないか、メッセージを送りました」

社会的養護施設の人手不足の現状

社会的養護とは、家庭で生活することが難しいこどもたちを、社会全体で支える仕組みです。例えば、虐待や親の病気、貧困などの事情があり親などと一緒に暮らせないこどもが対象になります。日本では約4.2万人のこどもたちがこの支援を受けています。

つらい気持ちを抱えている子も多いですが、多くの施設ではこどもたちに丁寧に寄り添えるだけの人員が確保されていません。時間帯によっては職員1人で20名程のこどもをみる施設もあります。

NPO法人チャイボラは、情報発信や研修等を通し、職員の確保と職員が長く元気に働ける環境をつくれるよう活動しています。

こどもたちへの食糧支援でもない。居場所支援でもない。社会的養護施設の「職員」を支援する、というチャイボラの活動。その大切さについて、上野さんはこう話します。

「私自身、得意なことと苦手なことが極端に分かれているんです。『ADHDあるある』に驚くほどあてはまることが多くて。思い返すとこどもの頃から、ランドセルごと忘れて帰ってきたり、片付けも苦手だったりしました。勉強はどちらかというと得意だったんですが、苦手なことも多かったです。でも、それが全く自分のコンプレックスになっていないんです」

両親は、常に否定せずに「仕方ないなぁ」と付き合ってくれたと上野さんは話します。夏休みの最終日は、上野さんが宿題が終わるまで、お母さんが一緒に横にいてくれました。人格を否定するようなことを言われたことは、一度もなかったと言います。

「私は家族のおかげで、『自分の人生は自分のもの』という感覚を持ったままいろいろなことを決めてこられました。自分の当たり前となる考え方を作ってくれる大人との出会いが、人間の『根っこ』だなと思ったんです」

決断するまでにやった2つのこと

大手企業からNPOへの転職に、両親からは一度反対を受けます。「将来、家を買うときにローン組めるのかな・・」と生活への不安も、上野さんの脳裏をよぎります。実際に、NPO法人チャイボラに正職員として転職するには約1年半かかりました。上野さんは、決断するまでに、2つのステップを踏んでいます。

1つは、ボランティアで関わること。

大手企業にいるからこそできるCSR的な関わりもあるのでは。そう考えた上野さんは、社員向けの社会的養護施設の勉強会を開きました。100人を超える方が参加し、「こんな機会をくれてありがとうという気持ちでいっぱいです」「一生忘れないと思います」「ボランティアの申請をしました」と、たくさんのメッセージが上野さんのもとに届きます。

営業職で培ってきた『人に伝える』スキルが活きる。具体的に貢献できる手応えが、ボランティアを通じて見えてきました。

勉強会時の様子

2つめは、児童福祉の専門学校に通うこと。

本当にここに人生の時間を捧げていいのか、もっと勉強した上で考えたい。上野さんは、福祉の専門学校に進学します。社会的養護の背景にある社会課題や発達特性を持つこどもとの接し方など、幅広く学びました。

転職を後押ししたのは、マネージャー時代に育んだ「全員が幸せじゃないと納得できない」という感覚です。一部の人だけが納得している状況が嫌で、全員が幸せな状況をつくれるように心がけていました。

「社会に、職員不足や職員が離職してしまうことで寂しい想いをしているこどもがいるのを知りながら、行動しない自分には納得がいきませんでした」

勉強しても、参画したいという気持ちが変わらなかった上野さん。2025年4月、NPO法人チャイボラのフルタイム職員になります。

すべての仕事がこどもたちにつながっている

今は、NPO法人チャイボラと並行しながら、児童養護施設でも働いているそう。チャイボラでは、求職者向けイベントの企画・実施に加え、社会的養護施設に特化した求人サイト「チャボナビ」の運営を行っています。

チャイボラ勤務時の写真(向かって前列1番右が上野さん)

今は、仕事に燃えきれていますか?

たずねると、「燃えたい、と悩むこともなくなりました」と返ってきました。

「チャイボラの理念でもある『こどもたち一人ひとりが大切に育てられる世の中を目指して』という軸がずっと根元にあります。どの仕事もその方向につながっていると、自信が持てるのが大きいです。

職場は想いを持って集まってきている人たちばかり。その方たちと一緒に働けることも、すごくうれしい。大人になっても、燃えられるものに出合えたのは、本当に幸せです」

迷いが生まれたら、自分の気持ちに目を向ける

上野さんはエネルギッシュで、明るくて、常に命を燃やしているように見えます。そのバイタリティはどこから?会話の記録を読み返して、ヒントを手繰り寄せました。

「『幸せだった』『やり切った』と思って死にたいと、ずっと思っている」と、上野さんは言います。

いつ死ぬか分からない。だから、今を、後悔しないで生き切る。

その中でも、NPOへの転職時は、立ち止まっていることが興味深いです。全力でお酒を売ることを経て、「これでいいんだっけ?」と、立ち止まる。それは、自分の中に生じた「迷い」に率直に向き合うことでもあります。

ソーシャルセクターへの転職に迷いがある方に向けて、上野さんはこんなメッセージを話してくれました。

「結局、自分が幸せかどうかだと思うんです。今の場所で満足して幸せだというなら、そこで頑張って花を咲かせたらいい。でも、迷いが出ている時点で、一体それがなぜなのか。自分の気持ちに目を向けた方が、人生にとってはプラスになりそうな気がします。」

かつて109年の歴史を動かした彼女は今、こどもたちを取りこぼさないため、日本チームのマネージャーの一人として走り続けています。


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この記事を書いた人
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1982年埼玉県生まれ。早稲田大学卒業後、塾講師、ネットサービスベンチャー企業を経て、NPO法人ETIC.参画。2児の母。志ある人と組織をつなげる求人サイトDRIVEキャリア(https://drivecareer.etic.or.jp/)で、事務局業務を担当しています。モットーは、「書くことと人をつなげることで、一歩踏み出す勇気を生み出せる人になる」

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