ローカルベンチャー

もう、成功事例ではない。百森構想を現実化した西粟倉の10年と次なる挑戦【ローカルベンチャーで変容する地域(13)】

ローカルベンチャー推進で、地域は変わったのか。

2016年にスタートしたローカルベンチャー推進事業(※)。地域に起業家が生まれ続ける生態系を創ろうというこの試みは、2026年3月、10年間に及んだ交付金による事業期間を終え、次のステージに踏み出します。

そこでこの特集では、本事業の主催者であるローカルベンチャー協議会の6つの参画自治体をひとつずつ取り上げます。行政と、民間の中間支援組織またはプレイヤー、双方の視点からこれまでの歩みを振り返り、ローカルベンチャー推進が地域にもたらした変化について聞きました。

今回は、岡山県西粟倉村の民間プレイヤーの皆さんです。

西粟倉村は2016年、NPO法人ETIC.とともにローカルベンチャー協議会の発足を呼び掛けた自治体。ローカルベンチャースクールという起業支援プログラムを通じて移住者を呼び込み、地域資源を活用する起業家を輩出してきた“西粟倉村モデル”は、協議会参画自治体の多くが参考にしてきました。

今回お話を聞いたのは、同スクールへの参加を経て株式会社百森を創業した田畑直さんと、当時、村役場で「百年の森林(もり)事業」を担当し、現在は株式会社百森の社員である長井美緒さんです。

また、中間支援組織として村役場とともにローカルベンチャー推進事業に関わってきた株式会社エーゼログループ代表の牧大介さんにもコメントをいただきました。

(※)ローカルベンチャー推進事業とは、主に地方において地域資源を活用して起業したり新規事業に挑戦したりする人・団体をローカルベンチャーと呼び、その輩出・育成を目指す取り組みです。NPO法人ETIC.(エティック)が事務局を務めるローカルベンチャー協議会が、2016年度より地方創生関連の交付金を活用して実施してきました。自治体ごとに行政と民間の中間支援組織とがペアを組んで参画するのが特徴です。1期5年、2期5年、合計10年間、延べ13自治体が参加した本事業の定量的・定性的な成果については、2025年7月に刊行した「ローカルベンチャー推進事業白書」にて紹介していますので、そちらもぜひご覧ください(記事末にリンク記載)。

岡山県西粟倉村の概要
人口:約1,300人
主要産業:林業
ローカルベンチャー推進事業への参画:2016年~現在

左から長井美緒さん、田畑直さん

田畑 直(たばた すなお)さん
株式会社百森 代表取締役

東京都出身。大学を中退し、ITベンチャーに就職。アプリやウェブサイトの分析、新規事業立ち上げなどに携わる。2016年、西粟倉ローカルベンチャースクールに参加。翌年、村に移住して株式会社百森を創業。村内2600ha以上の山林管理を受託するほか、林業以外の山林の活用や森林管理ツール開発なども進める。

長井 美緒(ながい みお)さん
株式会社百森 山守

広島県出身。北海道大学大学院農学研究科を卒業後、林野庁の職員に。2014年から3年間、西粟倉村役場へ出向。「百年の森林(もり)事業」を担当し、後の株式会社百森のような事業体の立ち上げを提案した。産休・育休を経て村に戻り、2020年9月、株式会社百森へ入社。山守として山林管理の実務を担う。

牧 大介(まき だいすけ)さん
株式会社エーゼログループ 代表取締役CEO

京都府出身。京都大学大学院修了後、民間シンクタンクを経て、2005年「アミタ持続可能経済研究所」設立に参画し、所長に就任。農山漁村での新規事業プロデュースなどを多数手がけ、西粟倉村の「百年の森林構想」にも企画段階から関わった。2009年に株式会社西粟倉・森の学校(製材・木工など)を、2015年にエーゼロ株式会社(中間支援など)を設立。2023年、両社を合併して株式会社エーゼログループとし、代表就任。

※記事中敬称略。

官が発想し民が応えた、「百森構想」の実務を担う会社の誕生

――田畑さんが西粟倉で起業した経緯を教えてください。

田畑:私はもともと東京のIT企業に勤めていましたが、2016年、友人に誘われ西粟倉村ローカルベンチャースクール(以下、LVS。西粟倉村が主催していた起業支援プログラム)に参加したのがきっかけで、2017年4月に村に移住。同年10月、その友人とともに株式会社百森(ひゃくもり)を立ち上げました。

村が掲げる「百年の森林(もり)構想」に基づき、村内2600ha以上の山林管理などを行っています。

「百年の森林(もり)構想」:周辺町村との合併の道を選ばなかった西粟倉村が、単独で生き残る道を考え抜いた末、2008年に打ち出した構想。村最大の資源である森林と林業を軸とした村づくりを目指し、複雑な地権関係をまとめて森林整備や林業の6次化などの事業を進める。事業開始より50年後の2058年を目標に、持続可能な森林環境「百年の森林(もり)」、その森林に囲まれた「上質な田舎」の実現を目指す。

――もともと林業には関心がありましたか?

田畑:いえ、さほど興味はなかったのですが、当時のLVSの参加者募集の告知には、「百年の森林構想」(以下、百森構想)の森林・林業に関する「百森事業」の実務を担う専門組織、「百年の森林管理センター(仮)」を立ち上げる人材を求めている、とあったんです。林業の経験は不要、欲しいのは「経営人材」だと。

当時、百森事業は村の事業として役場が手掛け、森林組合が施業を元請けする形でした。でも、先人たちが50年育ててきた森をさらに50年守り育てていこうという超長期スパンの事業なのに、職員は数年単位で異動がある。だから、役場の外に専門組織を立ち上げたほうがいいと発案したのが、当時、役場にいた長井さんだったんです。

――長井さんは、当時はどういうお考えでしたか?

長井:私は2014年度から3年間、西粟倉村役場に林野庁から出向し、百森事業を担当しました。百森事業には、役場と森林組合のほか、木材の加工・流通を行う西粟倉・森の学校という会社が関わっていたんですが、田畑さんが言ったように役場職員は異動があるし、また、三者の立場が違うため意見のすり合わせが難しかった。

そこで、百森事業に特化した事業体をつくり、事業全体を一貫してマネジメントできるようにしたらどうか、と考えたんです。そこに反応してくれたのが田畑さんたちでした。

長井:当初の私の考えでは、山は公共的な性格が強いので、その事業体はNPOや第三セクターを想像していました。また、LVSの参加者は地域おこし協力隊として起業準備する前提なので、3年くらいかかるだろうと思っていたら、1年もしないうちに株式会社をつくったと聞いて、おお!と(笑)。民間ならではのスピード感に驚いたのを覚えています。

田畑:最初はもっとゆっくりやろうと思っていたんですけどね(笑)。でも当時の状況を見て、早く受け皿をつくったほうがいいと考えて急ぎました。そうして2017年に株式会社百森ができ、それまで役場と森林組合が担っていた「百森構想」の中心業務、山林の管理を引き継ぐことになったのです。

――長井さんは現在、百森の社員でいらっしゃいます。

長井:田畑さんたちが西粟倉に来た直後、産休・育休で1年間村を離れましたが、2018年に戻ってきて2020年9月、百森に転職しました。うちに来てほしいと声をかけてくれたのはうれしかったですね。

現在は山守(やまもり)として、山主さんからお預かりした森林管理の実務を担っています。具体的には、間伐などの施業計画の立案、業者への発注、補助金申請、山主への支払いなどです。

田畑:もともと長井さんが構想した事業体なので、長井さんが戻ってくるのは既定路線でしたよ(笑)。

画期的だった「西粟倉百年の森林協同組合」の誕生

――株式会社百森が始動して8年が経ちます。この間どのような変化がありましたか?

田畑:最大の変化は、2019年に「西粟倉百年の森林協同組合」が立ち上がったことではないでしょうか。これで林業や木材に関わるすべての人たち――いわゆる川上(伐採・製材)から川下(加工・流通)まで――が連携するプラットフォームができたのです。

西粟倉は百森構想を通して森林資源活用に村の生き残りを賭けてきたわけですが、そこに向かって、関わるプレイヤーたちがそれぞれ個別にがんばるだけでなく、みんなで集まって知恵を出し合おうという形になってきた。これは大きな変化だと思います。

全国的に見ても、林業サプライチェーン全体がこうして一堂に会する場があるというのはめずらしいのではないでしょうか。

西粟倉百年の森林協同組合のウェブサイト

――以前は村にそのような場はなかった?

田畑:そもそも西粟倉村には、林業会社だけでなく、製材所や、木工製造業など、木を切ってから商品にするまでの工程に携わる事業体が多いんです。この規模の村なら森林組合単体で完結しているところもめずらしくないのに、西粟倉は製材所だけでも4社、木工所も数社あります。

私が村に来た頃は、これらの人たちがそれぞれ真剣に、でもバラバラに努力している状況でした。業種が違うと交わる機会自体ほとんどなかったし、互いに関わらずとも仕事はできていたんですね。

――株式会社百森誕生後の時期に、状況が変わったと。組合はどのように立ちあがったのでしょうか?

田畑:百森事業に関しては以前、行政→森林組合(元請け)→素材生産各社(下請け)という構造だったのが、株式会社百森ができたことでみんな横並びになった。

すると、行政と話す際に森林組合を通せなくなったので、まず素材生産業者でまとまろうか、という話を始めたのが株式会社木の里工房木薫(※)の國里哲也さんと株式会社青林(※)の青木昭浩さんでした。そこから話が発展していったのです。

当時、私はよそから来たばかりで林業のことは無知でしたけれど、自分の会社が百森事業を取りまとめる立場だったため、各社と話し合う必要がありました。正直、協同組合の立ち上げはスムーズではなかったです。

私自身、林業に関わるようになって最初に驚いたのは、同じサプライチェーンの中にいる人たちなのに、ときに反目しあってるようにも見えたこと。それぞれの主張もあって、合意形成までには1年以上かかりました。

そんななかでも、話し合いを引っ張っていたのは、國里さんや青木さんのほか、西粟倉・森の学校/エーゼロ(当時)の牧大介さんたち。話し合いを重ねるうち、お互いの仕事に対する真剣さや地域の将来を考える本気度が伝わってきて、議論が進むようになりました。

もともと各自で考えて行動していたのが、「チームとして動く」ことができるようになったのは、非常に大きな意義があると思います。

(※)木薫(もっくん)は2006年創業、西粟倉で最初のローカルベンチャーと言われる林業・木工会社。青林(せいりん)は2017年創業の林業会社(保育造林、森林整備など)。

西粟倉村の森林は8割が人工林。株式会社百森は2600haを超える山林を管理する。330万本あるスギ・ヒノキは「孫の代には財産になる」そう信じて誰かが1本1本植えたもの。

長井:私から見ても、村の林業に関する大きな変化と言えば、この協同組合ができたことに尽きます。全プレイヤーが集う、と口でいうのは簡単ですが、実際にはかなり難しいこと。協同組合のウェブサイトには、チーム西粟倉としてみんなが一列に並んでいますが、これは薩長同盟くらいすごい話だと思っています(笑)。

おそらく、もともと林業従事者ではない田畑さんらが場の中心ではないながらも存在することで、しがらみが薄れ、議論が進んだ部分もあるのではないでしょうか。その意味でも、西粟倉は他所から来た人を柔軟に受け入れる土壌はあったのだろうと思います。

――協同組合というチームが動き出したことの具体的な成果はありますか?

田畑:まず喫緊の課題だった、視察対応窓口の一本化が実現しました。また、加工する側に合わせた伐採方法の調整などが可能になり、商品開発もしやすくなっています(例:スギの床板はこれまで単色しかなかったのが、赤身(芯材)と白身(辺材)を組み合わせた新製品が誕生)。

山林を使った観光事業の計画も、林業の全体像を見渡してみんなでやろうという話が出ていますね。

――長井さんは、役場時代に構想したものと今の状況を比べていかがですか?

長井:公務員として想像していたものを超えて良い状態になっていると思います。村を支える産業である林業の現場で働く人たちが、一日がんばって仕事して、いいお酒飲んで、また明日もがんばろうと思える日々であってほしい、という願いが私の原点。完全ではなくとも、以前よりはその状態に近づいていると思います。

もちろん、課題はまだ山積しています。職人気質の業界にありがちな、高レベルのタスクが属人化していることもそのひとつ。マニュアル化を進めて、林業界全体に横展開できるようにしたいですね。時間も労力も足りていないのが現状ですが、明日の自分のためにも取り組んでいきたいと思っています。

西粟倉は「成功事例ではない」

――百森構想をベースにLVSなどの施策を通じて移住起業者を増やした西粟倉村は、「地方創生の成功事例」として語られることが少なくありません。総務省の「ふるさとづくり大賞優秀賞」(平成30・2018年度)など数々の受賞歴もあります。村の将来についてはどんな見通しをお持ちですか?

田畑:私自身は成功事例だとは思っていません。2008年に百森構想ができ、2015年にローカルベンチャー育成が始まり、移住者が増えて全国的にも話題になりました。これらの取り組みによって、村の人口減少のペースが鈍ったのは事実です。

しかし、直近5年の人口減少率は他の自治体と同じレベル。今の延長線上には、おそらく良い未来はないでしょう。これからは地方交付税の減少など、西粟倉だけでなくこの地域全体にとってさらに厳しい時代になる。だから、村はもう一段変化をしないといけないと思います。

――そのなかで株式会社百森が果たす役割はどのようなものですか?

田畑:地方のインフラを支えていたものが徐々に無くなっていくなかで、そこに暮らす人たちがどうしたら楽しい未来を描けるのか。描けるような状態を実現するのが、今の私たちの責務だと思っています。そのために、ありとあらゆることをやっていかなければなりません。

森林管理の会社としては、森林という資源をあらゆる形で、いろいろな人につなげていくことになります。素材生産という核は維持しつつ、生物多様性の研究者の招聘、山を使った観光事業(マウンテンバイクや伐採が体験できるロギングツアー)など、一見「訳のわからないこと」でもどんどんやっていきたいと考えています。

株式会社エーゼログループ代表 牧大介さんのコメント

百森構想の企画段階から関わり、この15年余り、西粟倉・森の学校とエーゼロという会社を通じて、製材・木工事業やローカルベンチャー育成をはじめとするさまざまな事業を手掛けてきました。

百森構想は、合併しない西粟倉村が単独で生き残るため、村面積の95%を占める森林に勝負を賭けようとしたところから始まったものです。ビジョンやコンセプトが先行していた黎明期に比べると、今は地域経済の中にしっかり組み込まれていると感じます。

別の言い方をすると、百森構想はもはや、みんなの「夢」ではなく「維持すべきもの」になっているということ。そのとき、百森構想は魅力のある「旗」であり続けるのかと、私自身ここ数年もがいてきました。

何でもそうですが、一度うまくいったものが、その後もずっとうまくいき続けることはありません。社会的に支持され、経済的に回るようになった後には必ず、「形骸化」が起きます。そこで一度落ちて、また次の何かが始まる。世の中はその繰り返しです。自然の摂理と言ってもいいでしょう。

ローカルベンチャーに関しても、ひとつのチャレンジが成功すると、それはもはやチャレンジではなくなってしまう。次の挑戦が続かなければ、世の中の変化に適応できません。チャレンジが生まれ続ける土壌作りこそが大事なのはそのためです。

過去15年間の一時期、西粟倉にはどんどん移住者が入ってきて村の経済が上向きました。でも、そのフェーズはもう終わり。客観的に見れば日本の林業も木材も厳しい状況にあり、世の中全体の不確実性も高まっています。

その中で私たちはこれからどうするのか。原点に立ち帰ることも含め、あらためて考えていかなければなりません。その際、西粟倉の人たちが自分たちを「成功事例」と思っていないことこそ、大きな力になるだろうと考えています。


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この記事を書いた人
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福島市を拠点とするフリーのライター/コピーライター/広報アドバイザー/翻訳者。神奈川県出身。外資系企業で20年以上、翻訳・編集・広報・コーポレートブランディングの仕事に携わった後、2014~2017年、復興庁派遣職員として福島県浪江町役場にて広報支援。2017年4月よりフリーランス。企業などのオウンドメディア向けテキストコミュニケーションを中心に、「伝わる文章づくり」を追求。
▷サイト「良文工房」https://ryobunkobo.com

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