※本記事は寄稿記事です。

大ヒット漫画『チ。-地球の運動について-』や『ひゃくえむ。』で知られる漫画家・魚豊さん。2026年1月、「日本漫画の生産様式とその限界」をテーマに、学生向けの講義が行われました。
会場は京都精華大学・明窓館大ホール。朝日新聞社主催、手塚治虫文化賞第30回を記念した特別講演として開催され、受講は学内者に限られました。講義の中で魚豊さんが語られたのは、「新たな生産構造の必要性」です。その着眼点や考え方は、漫画界にとどまらずスタートアップをはじめとした他領域にも通じるヒントがあるように感じられました。
本稿では、その講義内容をノートとして整理し、お届けします。
魚豊氏について
東京都出身。2018年『@ひゃくえむ。』で連載デビュー。2020年より『チ。-地球の運動について-』の連載を開始。同作は「マンガ大賞2021」第2位、「このマンガがすごい!2022 オトコ編」第2位ほか数々の漫画賞を受賞し、シリーズ累計発行部数550万部を突破。アニメ化もされ、大きな反響を呼んだ。その他の著作に『ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ』がある。第26回手塚治虫文化賞 マンガ大賞受賞。
手塚治虫文化賞について
日本のマンガ文化の発展、向上に大きな役割を果たした手塚治虫氏の業績を記念し、手塚氏の志を継いでマンガ文化の健全な発展に寄与することを目的に、朝日新聞社が1997年に創設しました。日本国内で刊行・発表されたマンガで、優れた成果をあげた作品および個人・団体に贈られます。
※「手塚」の「塚」は正字体「塚(てんあり)」が本来の表記ですが、互換性への配慮などから「塚」と簡易字体で表記しています。出典:朝日新聞社WEBページ
本記事は、約90分にわたる講義と学生との質疑応答を通じて魚豊さんから語られた内容を、「講義ノート」としてまとめたものです。
また、その全体像をなるべく俯瞰的につかんでいただけるよう、本ノートをもとにした約5分間の音声をラジオ形式で制作し(YouTubeで公開)、あわせて共有します。
本記事が、読者のみなさまそれぞれの考えを少しでも豊かにするきっかけとなれば幸いです。
魚豊さん講演「講義ノート」
講義背景
今回の講義タイトルは「日本漫画の生産様式とその限界」。
2026年1月22日(木)、京都精華大学明窓館大ホールにて、朝日新聞社主催・手塚治虫文化賞第30回を記念し、漫画家・魚豊(うおと)氏による特別講演会を開催。魚豊氏自身の視点で講義が実施された。
なお、ファシリテーターには、京都精華大学マンガ学部新世代マンガコース教員の田中圭一氏が務めた。
この講義ノートの読み方
本講義において魚豊氏は、随所で「これはあくまで個人的な好みに基づく考えである」と述べていた。ここで語られている内容は特定の立場や方法を批判・否定する意図はなく、業界に存在する多様な意見や立場の価値を踏まえたうえで展開された講義であった。
また魚豊氏は、本テーマについて2026年中に活字の書籍の出版を検討していることが共有され、今回はその一部の内容における講義版という位置づけでもあるとされた。そのため、講演ノートでなく講義ノートとしている。
なお、以下の講義ノートは、なるだけ魚豊氏が語った内容に基づいてまとめたノートではあるが、一次情報ではない。あくまでも講義のいち聴講者としての解釈や認識を通してまとめられたノートにすぎない。
そのため、魚豊氏の真意や考えを十分に反映できていない可能性がある点には、あらかじめ留意する必要がある。
講義タイトルが「日本漫画の生産様式とその限界」であるなか本記事のタイトルを「漫画の新しい生産構造について」とした背景は、まさにその認識と解釈によるものである。ただし、いち聴講者としての意見や提言はノート内では排除したつもりである。
はじまりの問い
「なぜ、日本の漫画はこんなに多様性がないのか?」。この問いから講義は始まった。
当初、今回のテーマは生産様式とされていたが、正確には生産「構造」の話にあると魚豊氏により再定義された。漫画がどのような方法で制作されているのかという問いを、作品内容の話にとどめず、「人間の創造力」そのものに関わる話題としてこのテーマが着目された。
現在、漫画の媒体数、売上、作品数はいずれも歴史上最大とされている。それにもかかわらず、多様性が乏しいのはなぜか。それは、生産構造が実質的に二種類しかないからではないかとの仮説を提示。
現状の生産構造から生まれるのは、味付けが違うだけの作品であり、本当の意味での多様性とは言いがたい。色違いの犬はいても、イルカやクジラはいない、その理由こそがこの講義全体の問いとして据えられた。
現状の生産構造の理解:「連載」と「同人誌」
日本の商業漫画の生産構造は、大きく「連載」と「同人誌」の二つに分けられる。
「連載」は、読者アンケートや人気の上がり下がりといった市場の反応を見ながら、物語やキャラクターを変化させていく生産構造である。魚豊氏は、この構造の中で発揮される創作の力を「連載的創造力」と定義した。
その起源は、チャールズ・ディケンズによる小説の連載に遡る。当時のイギリスでは国民の約4人に1人が読むほどの人気を博し、鉄道による流通や輪転機による大量印刷の発展と相まって、連載は高い換金性をもつモデルとして確立された。
その過程で、読者の反応を取り込みながら物語を展開する「連載的ストーリーテリング」の知識が蓄積され、現在にまで継承されている。その発明は本当に素晴らしいものであった一方で、売れ過ぎたとした。この構造では、作家が物語を完全にグリップするのではなく、読者の支持によって物語が変形していく点に特徴がある。
一方「同人誌」は、作家個人の興味や趣味を起点に、それを理解する特定の読者に向けて制作される生産構造である。作家性が強く、作者の意図どおりに物語を描ける点で魅力的に見えるが、必ずしも良作が生まれるとは限らない。
同人誌が盛り上がりを見せる背景には、マーケティングや資本主義的な仕組みによって、物語を純粋に楽しむ感覚が損なわれることへの抵抗があり、創作の純粋性そのものを重んじたいという欲望があることからではないかと考えられる。
現状の生産構造の違和感
魚豊氏は、「漫画は、本来もっと面白く、多様な読後体験を生み出せる表現ではないか」と投げかけた。「何世代にもわたって読み継がれ、読み返されるような、完成度の高い物語がもっと生まれてもいいはずだ」という。
たとえば、連載的創造力の中で生まれた100巻を超える漫画を、100年後の高校生が最初から読み通すとは考えにくい。しかし、別の生産構造であれば、100年後の普通の読者にも面白いと感じられる物語を生み出せる可能性があるのではないか。
一方で、作家性が強ければよいわけでもない。同人誌的な生産構造では、市場をあまり意識しないがゆえに、一定の作家性を備えつつも、特定の少数に向けた閉じた物語になりがちであり、魚豊氏の感覚としては「これも好みとして違う」という。物語やキャラクターの射程は、本来もっと広いはずだとの考えを示した。
「不特定多数・不特定少数の人の心に深く響き、想像を超えて届く力こそが、漫画や物語の持つ創造的な豊かさであり、その瞬間に人間の創造力は拡張される。趣味ではなく職業として漫画に向き合い、単なる金儲けではなく創作そのものの楽しさを捉えるなら、そこにこそ漫画の意義と可能性を見出したい」という考えが示された。
新しい生産構造への考察
連載による生産構造では、市場の要請に応じて物語が調整・変更されるため、作品としての練度が高まりにくく、むしろ破綻しやすい構造にあるのではないかと考察。
その結果、物語は現代市場が求める型に集約され、多様性を失っていく。そこから生まれるのは、その場しのぎの消耗品的で、暇つぶしに近い完成度の低い漫画になりがちではないか。
一方、同人誌のように作家性を重視する構造では、作品は閉じたものになりやすく、想像の範囲を超えた広がりを持ちにくい。不特定な人の心に深く残る物語にはなりにくい点で限界がある。
つまり、現代漫画の主要な生産構造である「連載」も「同人誌」も、それぞれに現代的な限界を抱えているのではないか。連載のように市場に従属するでもなく、同人誌のように自意識に閉じこもるでもない、新たな生産構造とは何か。
たとえば、100年後の普通の高校生でも読みたくなり、実際に読むことができ、なおかつ深く心に残る物語は、どのような条件によって生み出されるのか、何が必要なのか。
新しい生産構造への仮説
たとえば『ひゃくえむ。』や『チ。』という作品は、それ自体がこの構造を変える突破口になるわけではないとした。なぜなら、生産構造やシステムは何も変わっていないからであるという。
個々の作家がいくら努力をしても、作家個人の能力や創造力だけでは構造は変わらない。問題は才能ではなく、背景にある仕組みにある、と。
一方で、100巻を超えるような長尺が最適とも思えない。『ひゃくえむ。』は5巻、『チ。』は8巻だが、作家が自ら把握しきれる物語の長さとしては、その程度が限界ではないか。
その方が世代を超えて物語を伝えやすく、100巻規模では未来へつなぐことは難しい。また、必ずしも連載である必要もない。時代に合わせて消費されるだけの作品でもなく、専門家や研究者だけに向けたものでもない。
100年後の普通の高校生のような一般的な読者にとっても、面白く、深く心に残る読み応えのある物語を生み出すには、作品単体ではなく、その背景や生産構造に目を向ける必要がある。
再現性があり、サステイナブルなビジネスとして成立する構造、その下地から生まれる作品にこそ可能性がある、という仮説が示された。また、講義の中で、あと数年で漫画家を辞める考えを伝える場面もあった。
ここで語られたような新しい生産構造、システムをつくることに時間をかけていく意向が伝えられた。また、「僕たちが漫画の限界をつくっている。けれど、それはきっと超えられる。」と学生たちにメッセージする場面もあった。
お金を稼ぐことについて
ただ、(ビジネスといっても)単にお金を稼ぐことが目的であれば、漫画である必要はなく、むしろ金融などの方が向いているだろうとも伝えた。
ではなぜ漫画なのか。それは、つくること自体の楽しさや創作の喜びを保ちながら、大きなシステムに呑み込まれず、自分で物語をグリップし続けられる点に面白さがあるからではないか。そんなことがかなう、再現性がありサステイナブルに成り立つ仕組みや構造が必要だとした。
また魚豊氏は、「お金を稼ぐこと自体は嫌いではなく、よい生活をしたい」とも率直に語った。一方で、「お金稼ぎ」と「資本主義と結託すること」は別だとも指摘する。
資本主義のルールをグロテスクにハックし、仕組みに寄りかかる稼ぎ方ではなく、自ら価値を提示し、それを支持してもらうことで稼ぐことにこそ魅力があるという。また、資本主義をハックする方法では、結果的に大きく稼ぐことも難しいのではないか、という見解も示された。
新しい生産構造への手がかり
かつて存在した「貸本漫画」という生産構造には示唆があるとした。貸本屋向けに制作されたオリジナル漫画は、基本的に一巻完結で、売れれば続巻がつくられる仕組みだった。そこでは物語が「終わる」ことが前提として内包されており、この点に物語の完成度を高める可能性があるのではないか。
別の手がかりとして、海外の「グラフィックノベル」も挙げられた。一巻・二巻の買い切り形式で、高い内容のクオリティを担保する代わりに、一冊あたり数千円という単価で成立する生産構造である。こうした前提のもとでの漫画の作られ方が、もっとあってもよいはずだとした。
「終わり」を内包した生産構造や、それを支える背景の中でこそ創造力がより発揮され、もっと多様な物語が生まれる可能性がある。そうした構造から生まれる作品が、もっと増えていくことへの期待が示されていた。
漫画の面白さとは何か
魚豊氏は、漫画の面白さの本質は「物語」にあると語る。確かに連載における面白さはキャラクターに支えられている面もあるが、漫画そのものの、「ほんまもんの面白さ」はキャラではないとした。
映画など他のメディアと比べたとき、あらゆる芸術の中で最も強く「面白さ」を立ち上げられる表現が漫画ではないか、という認識が示される。しかし、現在の生産構造では、その力が十分に発揮されていないとした。
では漫画とは何か。漫画の定義は「絵」ではなく「コマ」にあるという。写真であってもコマを割れば漫画になる。フレーミングによって、一人称と三人称を行き来しながら表現できる点に、漫画特有の強さがある。
そこには極めて多くの情報が同時に含まれており、人間が読むことで、他のメディアでは得がたい「人間が面白いと感じる感覚」を引き出す力が生まれる、それこそが漫画の本質的な面白さではないかと語られた。
物語とはなにか
魚豊氏は、月並みではあると前置きしつつ、物語とは起承転結の配置を考えながら、「終わる」ことを前提につくられるものだと語る。人気が出続ける限り描き続ける、という姿勢は物語とは言えないとの考えも示された。
また、学生から過去作のテーマ設定の背景を問われると、「見たことのない世界にいきなり没入させるのは、読者にとってコストが高い。だからこそ、自分たちが慣れ親しんだものを、別の角度から見せる方が、物語の面白さをより強く感じてもらえると考えた」と説明した。
さらに「美しい物語とは何か」と問われると、「難しいが、作者が信じているものや、本気で向き合っているものが表れていれば、美しいのではないか」と応じた。
講義を終えて
以上が、本講義の全体像をまとめた講義ノートです。
実際の講義における魚豊さんの言葉は、歯に衣着せぬものも多く、輪郭のはっきりとしたメッセージとして学生たちに投げかけられていました。学生からの質問や議論も途切れることなく、予定時刻を過ぎてもなお魚豊さんと学生とのやりとりが何往復も続いていたことも印象的でした。
受け取る人に寄り添いながらも媚びることもない魚豊さんの眼差しの先に、どのような未来が描かれていくのか。そしてこれからの時代において、私たち人間の創造性はどのようにひらかれていくのか。講義を終えたいまなお、余韻の響く90分でした。

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