社会・公共

奥能登と金沢にアクセサリー工房を設置し職人を育成。女性の多様な働き方を支援し、働く場所と仕事の選択肢を増やす──合同会社CとH 伊藤紗恵さん【残したい能登からの学び(7)】

2024年1月1日、石川県・能登半島で起きた令和6年能登半島地震。その後に発生した令和6年9月能登半島豪雨。甚大な被害に見舞われた能登は、今もなお、支援の手を必要としながらも、能登の皆さんが能登らしい創造的な復興に向けた歩みを続けています。

NPO法人ETIC.(以下、エティック)は、2024年1月の発災直後から2026年2月現在まで、被災地域の支援を継続しています。そのなかで、地震発生から2年が経ち、これまでの活動を振り返って、残すべき学びが見えてきました。

エティックの支援活動のうち、能登半島地震緊急支援事業(※)は、能登で復興支援を行う団体への支援事業です。支援した8つの団体の取り組みは、いずれも、これまでの被災地支援の考え方とアプローチの枠を超える画期的なものでした。

この連載では、エティックが助成を行った8団体が事業から生み出した成果を、「残したい能登からの学び」としてお届けします(8回連載)。今回は、合同会社CとH 伊藤紗恵さんです。

本記事は、2025年3月開催の能登半島地震緊急支援事業報告会の一部と、9月に行った追加取材をもとに作成したものです。

※「能登半島地震緊急支援事業(休眠預金等活用事業2023年度緊急枠)」について
令和6年能登半島地震への緊急支援および中長期的復興を見据えた基盤強化事業です。災害弱者・広域避難者・小規模事業者等への緊急性の高いプロジェクトを実施するとともに、プロジェクトを通じて能登および周辺地域におけるリソース不足の解消を目指します。2024年1月から2025年3月まで助成を実施しました。

伊藤 紗恵(いとう さえ)さん
合同会社CとH CEO 

1983年生まれ。大手損保の人事からキャリアをスタートし、 パーソルグループでHRTech事業開発、武蔵野大学アントレプレナーシップ学部の立ち上げ、スタートアップスタジオ等を経験したのちフリーランスとして独立。2023年石川県珠洲市で「地域丸ごとパラレルキャリア」のビジョンで合同会社CとHを共同創業。24時間コワーキング兼ビジネスコミュニティ『OKNO to Bridge(奥能登ブリッジ)』を立ち上げ、地域の女性のキャリア形成支援、地域内外企業とのビジネス創出などの事業を行う。令和6年元旦の能登半島地震により事務所が被災し全壊となったのち、金沢、高岡、珠洲で拠点を再度立ち上げ、コワーキングを間口とした地域内外の人材交流、若者・女性の生業作り、二地域居住事業、起業家育成事業等を展開中。
合同会社CとH 公式サイト

女性のキャリアに選択肢を広げ人口流出を防ぐ。若い世代が「能登で働く」環境をつくりたいと起業

私たちCとHは、今回の事業では、「女性の仕事作り」を大きなテーマに推進してきました。もともと私たちの会社では、ビジョンを「地域丸ごとパラレルキャリア」としています。今回、ミッションの「ワクワクが集まる地域づくり」「奥能登で『働く』の可能性を広げ、次世代に10年先のワクワクを生み出す」がつながる事業として、取り組みました。

前提として、私たちは、「奥能登での地域課題解決が日本の地域課題解決の突破口になる」と信じていて、そのために「始める人」や「続ける人」を増やしていくための活動をしています。

私たちが「奥能登で『働く』の可能性を広げる場所」として運営している「OKNO to Bridge (奥能登ブリッジ)」は、珠洲市の本店、金沢市の金沢店、富山県高岡市の高岡西条店の3拠点あります。今回の助成事業は、避難者が多い珠洲市と金沢市で行いました。

被災前からの地域課題として、女性のキャリア、仕事や働き方の選択肢の少なさ、女性の地域外への流出率が高いといったことがありました。これにより、出生率減少、人口減少が危惧されています。

今回の震災によってこうした課題がさらに加速をしていること、また、金沢と奥能登、どちらに今後住むか定まらない方が多いなかで、特に女性はさまざまな事情に左右されやすいので、なかなか仕事に就きにくいという課題があることを聞いていました。

なので今回、場所を選ばずに働ける環境が求められていると考えて、奥能登(珠洲市)と金沢市の両方で働ける環境をつくりました。

今回の事業に関わらず、やはり「地域で働く」という選択肢をきちんと持っておくことが必要だと思います。避難や引っ越しですぐには能登に戻らなくても、若い世代が「将来的に地元に戻るのも悪くない」、もしくは「能登で働く」という選択肢を持てるような環境をつくっていきたいと思っています。

奥能登工房でアクセサリーをつくるアクセサリーワーカーの皆さん

女性職人12人が誕生。原発事故後、住民がゼロになった福島県南相馬市小高地区での女性の生業づくりに学ぶ

今回の事業で、私たちは、「女性が自分のスキルや仕事を得る機会を持つことで、被災地や、発災後に被災地から生活環境を考慮して金沢市に二次避難された方が金沢に残ったり、能登に戻ったり、関わり続けるといった選択肢を広げたい」という思いのもと生業づくりに取り組んできました。

具体的に今回の事業で行ったこととして、創業100年を超える耐熱ガラスの老舗メーカーのHARIO株式会社さんの協力をいただき、ガラスアクセサリー職人の育成を行いました。今までにないような働き方や仕事づくりを目指して、環境を構築し、金沢工房で7名、珠洲市の奥能登工房で5名、合計12名のアクセサリーワーカーが誕生しました。

アクセサリーワーカー(以下、ワーカー)の育成は、まず2024年8月に金沢工房で応募を受付け、40人の応募と、18名の体験会参加を経て、6名をワーカーとして採用しました。翌9月、HARIO本社スタッフの方による2週間のスキル習得研修を金沢工房で行い、10月から製品の制作・納品が始まりました。

そのなかで、具体的に女性たちの顔が見えたので「やっぱり能登側でもやる必要があるよね」と、奥能登工房の設立準備を始め、11月に奥能登工房も稼働を始めました。

助成期間の後半は、ワーカーの皆さんとともに東日本大震災後の福島原発事故による被害で、一時期は住民がゼロになった南相馬市の小高区で、OWB株式会社(旧株式会社小高ワーカーズベース)が運営するHARIOさんの生産拠点HARIO Lampwork Factory小高とオリジナルアクセサリーブランド「iriser(イリゼ)」の工房視察や、HARIOさんの茨城・古河工場にも研修に行きました。

南相馬市小高区にある工房「iriser」を視察

奥能登工房と金沢工房で作った製品も2月に完成し、作り手本人が経済産業省の「能登復興フェア」に出店し販売する体験をしました。

奥能登と金沢の工房で作られたアクセサリー
経産省の「能登復興フェア」でアクセサリー製品の説明をする女性職人2人(一番左と左から2番目)と伊藤さん(左から3人目)

また、新たな職を得るというだけではなく、今まで出会うことのなかった人に出会えるということに価値を感じている方が多いのを感じています。実際、ワーカーさんの声として「本当に最高に楽しい」「一番充実して楽しい」「こういう仕事につきたかったことが実現しました」「これを本業にしていきたいです」といった声をいただいています。

次年度(2025年4月以降)、ガラスアクセサリー事業は人材を増やし事業拡大を目指します(2025年9月時点で1人採用し13名へ増員)。地域とコラボした製品を作ったり、体験会を開催したりといろいろな収益源を作り、販路拡大に向けて進めていきます。

地域プレイヤーとして成長していくような兆しを感じるメンバーも現れています。ワーカーの職人に限らず、これから活躍していくのではないかと思っています。

私たちは、いままで地域で主役ではなかったプレイヤーの女性や若者が活躍することで、女性の留まる地域が盛り上がるような活動を今後も行っていきたいです。

また、地域の若者のインキュベーションにも引き続き力を入れていきたいと思っています。

起業を後押しするチャレンジショップにも着手。生業づくりを通して女性の可能性を広げたい

ここからは、活動報告会より6カ月後の2025年9月に、編集部が行ったインタビューです。​​

──助成終了後の活動について教えてください。

伊藤:いろんな形でチャレンジできる人を増やしていこうと、チャレンジショップ兼シェアキッチンに向けた活動を新たに始めました。

ここにはアクセサリー制作に限らず、ものづくりや、いろいろな分野で起業したい人たちが集まっているんです。例えば、料理が好きだけど、個人でのレストラン開業には至らない方がいます。こういったチャレンジしたい人たちが出店できる環境を整えています。

「OKNO to Bridge (奥能登ブリッジ)」では、すでに3人が起業したほか、起業に向けて動いてる人は数十人います。東京からインターンを経て起業した学生や、その活動を知った学生の知人も多く来てくれています。アクセサリーワーカーを続けながらチャレンジショップに出店したい人たちもいるので、彼女たちのいろいろな可能性を広げていきたいと思っています。

また、オンラインで働ける女性たちを増やそうと、デジタルワーカーの育成も始めました。あらゆる角度から、女性を対象に、「働く」の可能性、選択肢やスキルを広めていく事業を展開していきたいと思っています。

能登で起こり始めた、変化の兆し

──伊藤さんご自身にとっては、どんな学びがありましたか?

伊藤:とにかくチャレンジする環境をつくることが大事なんだと思いました。一般的には目指す姿があってそのギャップを埋めていくバックキャスティングで進める手法が多くみられます。もちろん私もそうでしたが、でもここでは足りないリソースの方が多くて、お金だけでなく、人材や建物も足りません。今起こってる事象に対して必要なものをあてはめていく方が発展するのではないかと感じています。

とはいえ、ビジョンや目指す姿もとても大事で、これらを持たないと指針がなくて迷子になってしまいます。要はバランスを保つことだと思っています。

──助成事業の開始から現在までの約一年間で、大変だったことは何ですか?

伊藤:助成事業が終わった今のほうが大変かもしれないです。助成事業の期間は、地震のすぐあとで、目の前のことを回すだけで精一杯でしたし活動としても十分成り立っていました。しかし、助成事業が終了した4月から、いざ自分たちで事業をつくっていかなければいけない状況で、事業継続のために奔走してきたこの約半年間が一番つらかったですね。

この会社を立ち上げて1年足らずで今回の助成事業が決まり、役員2人による運営体制のなかで、いろいろな側面から自走する準備ができてなかったと思います。

ただ一方で、今回の助成事業がなければ今の世界は絶対にできていなかったですね。能登の工房(拠点)も再開できなかったし、東京の学生が移住して起業することもなかったと思います。

──事業を通して、地域に起きた変化や感じている手応えはありますか?

伊藤:今ここには、社会起業家を志望する人たちが非常に多く集まっています。多くは東京から来た学生や会社員の方たちで、なかには経営者に近いレベルのビジネスマンもいるんです。東京でしっかり稼いでいる人たちがあえて能登にやってくる理由が、ここにはあるのだと思います。

地震によって能登では、もともと起きていた地方の課題がすべて凝縮され、なおかつ短縮されました。約30年後に起こる課題がギュっと凝縮されて今起こっているわけです。

能登復興で成し遂げられた取り組みは、ほかの地域にも波及し、社会全体の課題解決の基盤へとつながっていく、と考える人たちが、能登に挑戦しに来ているのだと思います。

今後は、ほかの地域で何か問題が起きたときに、能登の取り組みを調べようとみんなが走り、能登を参考に解決策を考えていくような流れが起こるのではないでしょうか。能登が未来の日本にとって重要な場所になるという兆しを、大きく感じています。


エティックでは、災害復興支援のための寄付を受け付けています。

詳細は災害支援基金プロジェクトのページをご覧ください。


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この記事を書いた人
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愛媛県生まれ。松山東雲短期大学英文科を卒業後、企業勤務を経て上京。業界紙記者、海外ガイドブック編集、美容誌編集を経てフリーランスへ。子育て、働く女性をテーマに企画・取材・執筆する中、2011年、東日本大震災後に参画した「東京里帰りプロジェクト」広報チームをきっかけにNPO法人ETIC.の仕事に携わるように。現在はDRIVEキャリア事務局、DRIVE編集部を通して、社会をよりよくするために活動する方々をかげながら応援しつつフリーライターとしても活動中。いろいろな人と関わりながら新しい発見をすること、わくわくすること、伝えることが好き。

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