「自分は今28歳なんですけど、前職を続けたら給与はさらに上がったと思うんです。でも、将来、高い給与から一気に条件を下げて挑戦するのって、自分には難しいだろうなって思ったんですよね」
今年の春、コンサルティングファームからNPO法人クロスフィールズに転職した永山滉大(ながやま こうだい)さん(28)は、このタイミングで転職に踏み切った理由のひとつをそう話します。どうやってキャリアチェンジの決断をしたのか、どのような軸で転職先を選んだのか。お話を伺いました。

一人ひとりの多様性が祝福される社会をめざして
「一人ひとりの多様な側面を認め合える社会をつくる」。
永山さんは、自身のやりたい事をそう語ります。
「『子どもの貧困』に着目して支援するNPOはたくさんあります。自分はその『貧困』という一面だけでなく、その子の『走るのが好き』『絵が好き』など、貧困じゃない部分にも光をあてられる社会をつくりたい。人の意識変容に関わりたいと思ったんです」
きっかけは、高校生のときに経験したフィリピンへの語学留学でした。
「お姉ちゃんが高校のときに、奨学金をもらって海外留学したんです。自分も高校生のうちに海外に行きたいと思って」
県内の交換留学プログラムに申し込むも、あえなく落選。諦めきれずに安く行ける留学先を探していたところ、フィリピンの語学学校のことを知ります。
費用は、2カ月で約15万円。貯めていたお年玉を使って一番安いフィリピンの語学学校へ行きました。そこで、同じ語学学校に通っていた日本人の大人に連れられて、週末、セブ島のスラム街に足を運んだことが人生の転機となります。

「自分は現地の子どもたちと普通に遊んだり、当時流行っていた洋楽を一緒に歌ったりして楽しんでいました。一方で、周りの大人たちは『かわいそう』という目線で子どもたちを見ていて、チョコをあげたり、お金を渡したりする関わり方だったんです。
社会課題と呼ばれてはいるけど、自分たちとスラム街の子どもたちは、共通点がいっぱいあるよなって思って」

相手を課題のある相手として見ると、相手の課題以外の部分が見えなくなる。もっと共通点やいろんな側面があるはずなのに、そこに焦点をあてられないのはなぜだろう──。このときに感じたモヤモヤは、永山さんの心にずっと残り続けることになります。
社会課題の現場と理論を往復して学んだ大学時代
永山さんは沖縄県出身。高校まで沖縄で過ごし、大学から上京しています。選んだ学部は工学部機械工学科。夢は、パイロットになりたかったのだとか。
「沖縄から東京に行くときって飛行機じゃないですか。飛行機に乗っている時間が好きだったんですよね」
しかし、転機が訪れます。好きだったのは空を移動する感覚であって、操縦そのものではない——その違和感に気づくのです。さらに、高校時代のモヤモヤは「社会課題解決のビジネスを勉強したい」という関心へと形を変え、工学部での一年は、心が別の方向を向いたまま過ぎていきます。
「お金を出してくれた親への申し訳なさと、『自分のやりたい事が他にあるのに、違うことをやり続けるの?』という迷い。しんどかったですね」
思いを両親に打ち明けると、「一度休学して再受験し、合格したら入り直せばいい」と背中を押されます。留学制度が充実している千葉大学国際教養学部を選び、合格しました。
挑戦を支えてくれた両親への感謝は、学びへの覚悟に変わります。
「授業料のもとを取るつもりで、徹底的にやりました」
大学時代には、社会課題の現場と理論を往復して多様な経験を蓄積。NPO法人多文化フリースクールちばでインターンに取り組み、海外の社会起業家を訪ねるプログラムにも参加しました。

三年次には英国・ノーザンブリア大学へ交換留学。現場の背骨となる理論を体系的に学びます。社会運動、開発学、ジェンダー、国際関係論など、社会変革のプロセスについて学びました。
「抽象概念を外国語で学び説明するのは難しかったです。YouTubeやPodcastを利用して、繰り返し鍛えました」
社会起業家への憧れと現実。新卒で外資系のIT企業へ就職
帰国後は、日本の社会課題解決現場を知るため、教授の紹介でNPO法人ETIC.(以下、エティック)のインターンに参画。国内外のさまざまな社会起業家に会い、話をするなかで「社会課題に関わる仕事をしたい」という憧れと「社会課題に向き合う大変さ」と、両方の実感が深まったと、永山さんは話します。
「大学生のとき、難民支援団体を立ち上げて活動していたんですけど、団体運営がうまくいかなくなって。活動を閉じようか悩んでいたときに、エティックのコーディネーターの方から『立ち上げるのと同じくらい、活動を閉じるのも気力がいる』と言われたんです。
社会起業家は、社会の中で困っている人を対象にするので、普通のビジネスと違って簡単に辞めるわけにいかない。取り組みたい課題が明確になっていないなかで、自分は、今すぐ社会起業家になるのは無理かも、と」
──NPO職員として入職する道は考えなかったのでしょうか?
「自分はまだ新卒で、入職しても即戦力になれないという実感がありました。あと、やっぱり、大事だと思ったのは給与面。NPOに就職して本当に自分の得たい給料が得られるのか?を考えて、まずは、ビジネスで学ぼうと思いました」
新卒では、外資系のIT企業に就職。場所やしがらみに縛られずに働きたい、という思いと、ITであればキャリアに汎用性があり、NPOでも活かせるだろうと考えての選択でした。
仕事をするなかで気づく、好きで得意なこと
新卒では、エンジニア寄りのポジションに配属され、Microsoftのアプリやサービスを使ってクライアントの社内向けの情報収集ツールを作成したり、サービスデスク業務を担ったりしました。仕事をするなかで、徐々に自分の好きなこと、得意なことに気づきます。
「自分が好きなのはIT業務ではなく、『課題の全体像を整理する』『関係者と話して合意形成をどう取るかを考える』ことだなと思って。それってコンサルの仕事だと思い、コンサル会社に転職することにしました」
1年で最初の会社を退職したあと、2年間、コンサルティング会社で勤務。国や自治体、大手企業をクライアントに、システム関連のプロジェクトに携わります。ずっと副業として関わっていた、NPO法人多文化フリースクールちばの理事に就任したのもこの頃です。NPOの経営的な視点、大企業、国や自治体の視点、海外の視点・・これまで積み重ねてきた多様な経験を経て、「本当にやりたいこと」が頭をもたげます。
高校生のときに感じたモヤモヤ。「人を『多面的』に見られる人を増やしたい」という思いでした。
他者承認から得られる幸せは、天井があると思った
「コンサルの仕事は楽しかったし、給与も高い。社会的な見られ方も良いです。周りの友人たちは、海外旅行に行ってSNSでシェアして楽しそうに見える。いいなと思うんですよ。一方で、自分の周りには、写真が好きでカメラマンやっている友達もいて。必ずしも給与が高くない職業の友人も、すごく楽しそうに生きてるんですよね」
さまざまなSNSがあり、発信すれば周囲からの承認が可視化されます。しかし、そこで得られる幸せは「底が知れてると思った」と永山さん。
「マズローの5段階欲求じゃないですけど、こんな時代だからこそ、ステータスで得られる幸せより、自分がやりたいことをやる方が、たぶん良いかもって」
もうひとつ、永山さんの背中を後押ししたのが「自分の足場」の確認です。
「自分には、どんな道に進んでも関係性が切れない友達もいるし、ある程度の生活や幸せは保証されていると感じてました」

「周囲からも『新しい分野に転職するなら今だ』と言われていましたし。これ以上先延ばしすると、もっと給与が高い状態から、キャリアチェンジしなきゃいけなくなる。それは(自分が)難しくなると思ったんですよね。もちろん、給与のボトムラインはありますけど、今年の年明けに『やりたいことへ舵を切ろう』と決めて。1カ月ちょっとで転職が決まりました」
人を『多面的』に見られる人を増やしたい。実現できるフィールドを探す
自分のやりたいことができる場はどこか。転職活動では、ベンチャーからNPOまで幅広く見ていたと、永山さんは言います。
「『どこが魅力的か』ではなく『どこなら自分のやりたいことができるか』の視点で見ていました。転職活動時に、自分のやりたいことを見直して、そこは覚悟が固まってたので」
成長スピードが速いベンチャー企業も、力をつけるうえでは魅力的でした。一方、永山さんの関心は、人の変化のプロセスの最大化。多様な価値観に触れて意識が変わる仕組みを、社会のさまざまな場に実装したいと考えていました。
「立ち上げ直後よりも、基盤が整いレバレッジを利かせやすい段階の組織が合うなって思ったんです」
そこで出合ったのが、企業の社員を社会課題の現場につなぐ留職事業などを行うNPO法人クロスフィールズです。

「社会課題を自分ごと化する人を増やす」というミッション、積み上げた実績の価値を可視化・拡大していこうとする事業の段階、課題整理や合意形成の強みを活かせるポジション、すべてが永山さんの理想に重なりました。選考の面接は3回。
「自分のやりたいこととクロスフィールズのビジョン・ミッションの重なりを、お互いに確認する対話を重ねました」
人を巻き込み、組織の意思決定に関わる力を磨きたい
長年、NPOと企業、両方関わり続けてきた永山さん。NPOのフルタイム職員になった今、両者の違いをどんなところに感じているのでしょうか。
「これまで所属していた大企業とNPOで言えば、NPOのほうがスタートアップ感が強いと思ってます」
NPOは利益最大化が最優先ではないぶん、バックオフィスの人員は薄くなりがちです。一方で、意思決定は非常に速い。同期は6人、団体は約30人。同期の意見を束ねるだけで全体の5分の1に届き、事業部によっては半数に近づきます。

「代表の小沼とも3カ月に一回話す機会があり、やりたいことや改善点を直接伝えられる。自分の仕事の影響がダイレクトに見えて、大企業では得づらい責任感や手応えがあると思います」
周囲の人を巻き込み、組織の中での意思決定に加担する力を鍛える。そこを強化したい、と語る永山さん。
「さまざまな偏見がインターネットで蔓延するなかで、自分のやりたいことはその真逆。自分の理想が社会に受け入れられるのか見えないし、マネタイズも難しい。クロスフィールズの業務を通じて企業のニーズをつかみ、どんな仕組みなら可能なのか、仮説検証したいです」
幸せの土台が、自由なキャリア選択をつくる
「どんな道に進んでも自分の幸せは保証されている」
この言葉が、インタビューを行うなかで、私が永山さんの強さを感じた瞬間でした。
リスキリング(学び直し)がもてはやされる昨今ですが、移り変わりの速い世の中で、一生安泰なスキルなどありません。自分の中に幸せの強固な土台があるからこそ、柔軟にキャリア選択ができるのだと、永山さんに教えてもらった気がします。
インタビューの最後、「今は仕事でタイにいるんですが、週末は北海道に行きます!」と話した永山さん。パイロットではないけれど、空の旅を楽しむ子どもの頃の夢も、きっと叶ったんだろうなと思いながら、インタビューを終えたのでした。

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