震災から10年。NPO法人ETIC.(エティック)と、ジャパン・ソサエティー(NY)は、震災直後から東北の復興を担うリーダー支援を行ってきました。
今回は、ジャパン・ソサエティーの震災支援基金および同基金の助成を受けたETIC.の「右腕プログラム」の支援先の中から、節目となるタイミングだからこそ知っていただきたい、東北復興の担い手10人を取材しました。彼らが語る被災地の「今」と「これから」を、リレー形式でお伝えします。文末の映像も合わせてご覧ください。
これからの10年は、ハード面の復興から人づくりへとシフト
菅野さん:多くの人が「この町をなんとかしなきゃ」と感じるきっかけとなったのが、やはり震災だったのではないでしょうか。これからのまちづくりを考えたとき、建物が元に戻ること以上に、そこにどんな人がいるかが大切だと思います。ハード面から教育や人づくりへとシフトしていくのが、被災から10年経った今というタイミングではないかと感じています。
一度はゼロ店舗となった商店街から、新しい人の動きが生まれている
戸塚さん:仲見世通りは、一度ゼロ店舗になってしまった商店街なんです。その状態から人を呼び込んで、今はカフェやゲストハウス、コワーキングスペースができました。Iターン者だけでなく、被災当時は小中学生だった子が釜石に戻ってきて、プレイヤーとして活躍するということも起きています。インターン生だった大学生が釜石で就職して、新しい事業を立ち上げて、地元の雇用を増やすというような動きも生まれていますし、この10年で培ってきた繋がりや経験を活かして、もっとインパクトを大きくしていきたいと思っています。
人や自然と出会える場をじっくりと育みたい
溝渕さん:箱根山テラスに出会って、自然の魅力や、人と出会う場所の大切さに改めて気付きました。この場所が自然に触れられるスポットとして盛り上がっていくよう、自分自身が感じたことを大切にしながら、長い時間をかけてやっていきたいと思っています。
1人じゃない。楽しく過ごせる居場所を地域に
吉田さん:厨房やもう少し広いスペースがあれば、もっといろいろなことができそうだね、ということでりくカフェを作りました。ここに来てもらえれば、1人だとなかなかできない運動やおしゃべりもできるので、元々のコミュニティが広がってきているように感じます。楽しく過ごせる人が増えたんじゃないでしょうか。
「循環する暮らし」の体験。自然の循環だけでなく、地域の人の循環も生まれている
立花さん:こども達がより海に親しみ、森と海のつながりを漁師との交流から体感する、漁業体験施設の設立にもご支援をいただきました。当時アフタースクールで学んだこども達は、無事高校に進学することができました。卒業後、雄勝町に戻り、MORIUMIUSで働き始めた若者もいます。
地元のこども達だけでなく、首都圏や海外からもこども達を受入れて「循環する暮らし」を体験できるプログラムを提供してきました。しかし、2020年はコロナ禍の影響で、これまで積み上げてきたものが一度リセットされた感じです。それでも歩みを止めず、自分達が今できることをチャレンジし続けていきたいと考えています。次の10年も進化し続けていきたいと思っています。
たくさんのリーダー達が新たなまちづくりに取り組む石巻
高橋さん:石巻は甚大な被害を受けた地域の1つですが、多くのボランティアの方々が移住して活動を展開しているところがこの地域の特徴かなと思っています。例えば蛤浜で「はまぐり堂」という古民家カフェを運営している亀山さんや、宅食サービスや有料老人ホームを運営している「愛さんさんビレッジ」の小尾さん……。
一緒にディスカッションしたり、何か連携できることがないかと集まる場を作ったり、そういったことを一緒にできるリーダー達が石巻には大勢います。移住者や若い方々を受け入れながら、一緒に新しい町を作っていこうという雰囲気があって、すごくおもしろい町だなと感じています。
データ化することで、課題解決の道筋が見える
小松さん:ハリケーン・カトリーナから復興した、アメリカのニューオリンズを視察したときに、社会課題をデータで表して、それを分析しながら解決していったと聞いたんです。日本の被災地としても同様の取組をしたいとお伝えしたところ、ジャパン・ソサエティーさんからご支援をいただきました。
被災地でいろいろな話が出る中で、それがどのくらい深刻なのかわからないということがたくさんあったんです。そこで私達のプロジェクトでは、課題をデータとして見える化していったんですが、データブックを作成したことで解決の道筋が見えた課題もあります。
例えば田舎に若者がいないのは仕事がないからだと言われていたんですが、職種の幅が広がれば若い人達が残る余地がありそうだという見通しが立ち、創業支援に力を入れるという方向性を決めることができました。私達の団体に限らずこういったアクションが起きたのは、このデータブックの成果だと思います。
コロナ禍においても、ここからどう元に戻すかではなく、どう発展させるかという話をいろいろな国の人としています。世界中でがんばっている人達の知恵をどう活かすか。それを考えていくことが、被災地での僕自身の使命の1つなんだろうなと思っています。
ゼロからの復興経験を世界で活かす
岩佐さん:被災前は129軒あったイチゴ農家のうち、95%が津波で流されてしまいました。そこで地域の基幹産業であるイチゴを復活させようと、2011年に会社をスタートさせました。当時は農業に対して研究開発のような中長期的・投資的な支出が難しい状況でしたが、そんな中でジャパン・ソサエティーさんにご支援いただき、イチゴワールドを復活させることができました。
日本だけではなく海外の農村でも苦労があります。この10年で、被災してほぼ何もないところからイチゴや園芸で町が豊かになっていくという経験をしたので、今度は我々が今弱っている人達のところに行って、技術を広めていくような活動をしていきたいと考えています。
様々な化学反応が生まれる、全世代に向けた学びの場
半谷さん:センターハウスは、小学生にとっては再生可能エネルギーの体験学習の場であり、中高生は地域の課題解決の拠点として活用しています。大学生には、将来のありたい社会や自分を内省する場となっています。そして社会人にとっても、自らの仕事を通して将来の日本や世界を考える研修の場として役立っています。
センターハウスができたことで、それぞれの世代、それぞれのテーマを複合する学びの場が生まれました。社会人研修で得たことを大学生や高校生に伝えることもできますし、単なる横断的な学びの場ではなく、それぞれを掛け合わせることができる学びの場となっています。
10年では終わらない。復興に向けた挑戦は続く
菅野さん:原発事故が本当にショックで、自分に何ができるか考えていたとき「右腕プログラム」に出会いました。いざ避難指示が解除されたとき、役場でも民間でもなかなかできないことがたくさんあるので、それを実現していくための会社として「まちづくりなみえ」を立ち上げました。
ここにしかないものを考えると、やはり原発事故とその影響なんですよね。実際に来て、見て、感じてもらって、共に考えて、福島だけではなく日本社会をどうするか考える。そのためのツーリズムを今はやっています。それが交流人口拡大にもつながっていると思います。
忘れてはいけないのは、県内でも4万人が自分の家に帰ることすらできず、避難を継続しているという事実です。浪江町も、面積の8割は帰還困難区域となっています。10年一区切りと言われるかもしれませんが、まだまだこれからなんだ、自分の力のある限り、仲間と共にこのまちを繋いでいくためにチャレンジし続けたいという思いでいます。
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未曾有の災害を経て、これまでの10年間で東北では様々な事業やプロジェクトが生まれました。最後の菅野さんの言葉にもあった通り、現地では10年で区切りがつくわけではなく、復興に向けた取組はこれからも続いていきます。10人のメッセージを通じて、読者のみなさんにも東北の「今」と「これから」を感じていただければ幸いです。
動画も合わせてご覧ください。
Report from Tohoku 2021
※本企画は、ジャパン・ソサエティーが震災翌日に設立した震災基金の支援を受けて実施しています。
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